ロッテ吉井監督と長嶋茂雄氏との“浅からぬ縁” 巨人移籍せず米メッツ入り決断、その意思を直接伝えると…
「野球を始める前の子供時代はもう長嶋さん、僕にとってはヒーローだった。本当に僕の中ではヒーローなんで、今回は残念に思います。FAのときもジャイアンツの監督が長嶋さんだったんで、何回か食事に誘ってもらいました」
昨3日、ゾゾマリンで行われる予定だったロッテー巨人戦は雨のため中止。
ロッテの吉井理人監督(60)はこの日の朝亡くなった巨人の長嶋茂雄終身名誉監督をしのんでこう言った。
1997年オフ、当時FA権を取得していたヤクルトの吉井はモテモテだった。
その年、3年連続2ケタ勝利となる13勝(6敗)、防御率2.99でチームのリーグ優勝と日本一に大きく貢献。国内は巨人、阪神、横浜、中日、西武の5球団、そしてメジャーの数球団が獲得に名乗りを上げた。
中でも最後まで熱心だったのが長嶋巨人。他球団を上回る条件の「4年8億円」を提示したといわれているものの、「巨人は実際、それ以上の大金を積んでいた」と、当時を知る放送関係者がこう続ける。