巨人がどれだけ憎くて憎くて仕方がなくても、「さすがは長嶋じゃ!」となってしまった
早稲田大のア式蹴球部では4年の時に同級生の松本育夫、2年の二村昭雄、1年の森孝慈、釜本邦茂ら「(5年後の)メキシコ五輪銅メダル組」と、天皇杯決勝で日立本社(現柏レイソル)を破った。
サッカーは大学までと決めとったけぇ、今でも最高の思い出じゃ。
6学年上の長嶋さんの立教大のスラッガー時代もよぉ知っとるし、巨人に入団して開幕戦で国鉄の金田正一さんに4三振を喫したこともリアルタイムで知っとった。
同級生たちと「プロの意地でキリキリ舞いにした金田さんも凄いが、真っ向勝負を挑んだ長嶋さんも凄いのぅ」と興奮しながら話したモンじゃ。
今も昔も、地元の広島カープの熱狂的なファンじゃけぇ、敵地に乗り込んで来て広島を打ち負かすチーム、活躍した選手が憎うて憎うて仕方がなかった。でも、長嶋さんだけはホームランを打たれても「おぉ!さすがは長嶋じゃ!」となってしまう。言葉にすると「別格」ということになるんじゃろうね……。
人気低迷の続いていたサッカーが、1993年5月のJリーグ開幕を控えて盛り上がりを見せていた1992年暮れ、長嶋さんが巨人の監督に就任することになった。