松井秀喜の米挑戦成功を確信していたワケ…その図太さには呆れを通り越して関心させられた
デカイのは体だけではない。シーズンが始まると、ボクらはしばしば松井に待たされた。彼はまず集合時間に現れない。朝が弱いのか、細かいことを気にしないのか。遠征先の宿舎前につけられたバスの中で「また、松井かよ」と先輩選手の怒声がよく飛んだ。険悪な空気が漂う中でようやくバスに乗り込んできた松井は「すいません、ハハハ」と笑って終わり。翌日も平気で遅刻した。新人、それも高卒の下っ端が遅刻して、先輩を待たせているのに平然としている。あきれるのを通り越して、妙に感心したものだった。当時からすべてに大物感があった。
松井が巨人からヤンキースに移籍したとき、ボクがその活躍を疑わなかったのも、野球選手としての能力以上にこうした彼の性格を知っていたからだ。松井なら、それがたとえ大リーグの超名門球団だろうと、マイペースを貫き通せると確信していたのである。
当然、誤解されることもあった。巨人時代、松井はどちらかといえばチーム内で浮いた存在だった。松井はナインと一定の距離を置いて付き合った。先輩に媚びを売らなければ、同年代の選手とも群れない。