名球会入りした名選手の中で、新井貴浩ほど練習を積んだ選手がいただろうか
山本監督は現役時代、大学(法大)出身者の日本記録となる通算536本塁打を放っている。4度の本塁打王、3度の打点王のタイトルは、いずれも30歳以降。大器晩成型の選手だった。
本拠地でナイターがある日は、灼熱の太陽が照り付ける真夏だろうが、午前中から新井と毎日特打を繰り返した。球を待ち過ぎるあまり、すぐに追い込まれ、ボール球に手を出す悪循環に陥っていたため、「好球必打」を徹底させた。
2年後の05年、打率.305、94打点、43本で本塁打王を獲得。この時は自分のことのようにうれしかったが、43発や自身初の3割超えより、引っ張り専門だった新井が逆方向へ打てるようになり、打点が36から94に増えたことを私は評価した。
駒大から1998年のドラフト6位で入団後、大学の先輩でもある大下剛史ヘッドコーチに徹底的にしごかれ、ここまでの選手に成長した。駒大時代に突出した成績を残したわけではない。守備力もなかった。だから、朝からノックを受けて泥にまみれた。守備から打撃まで、やることは山積みだった。大下ヘッドからすれば、後輩だし、なんとかモノにしてやりたいということだったのだと思う。地元・広島出身で体が大きいという長所こそあったものの、周囲は新井を「化けたらいいな」程度にしか見ていなかった。モノになった一番の要因は、大下ヘッドにしごきのような過酷な練習を課されても、故障をしない頑健さがあったことだ。


















