梅毒は1500年代に日本に…病人は神様にすがった
梅毒の起源については「米大陸を発見したコロンブスの船員がスペインに持ち帰った」という説が有名です。しかし、フランス王シャルル8世が外国人傭兵を率いてイタリアのナポリに侵攻した際に持ち帰ったという説もあり、その起源はハッキリしません。
日本では1500年代に明国南部の港を荒し回っていた倭寇が持ち込んだとされ、当時の医学書には「シナ潰瘍」と書かれていたそうです。
その後、梅毒は日本全体に広がり、その深刻さは「瘡平癒(かさへいゆ)の神様」を祭る神社などの多さに見ることができます。瘡とは天然痘やできものや皮膚病のことを指しますが、梅毒のことも意味しています。梅毒の苦しみから逃れるためにお参りする日本人も多かったのです。
日本で最初に梅毒にかかっているか否かを検査したのは、1860年だといわれています。梅毒が国民病だったロシアの艦隊が長崎に入ってきた際、ロシア側の要求で行われたそうです。
英国は1864年に性病予防を目的とした伝染病予防法が制定され、英国内はもとより、世界中の英国軍兵士を相手にする“プロの女性”に対する検査が行われました。日本でも1860年代半ばに検査が行われたといいます。
ちなみに、米国や英国の政府関連のホームページでは、渡航者の健康問題としてわざわざ性感染症が独立した章として扱われています。海外旅行者に対して、性感染症の教育が行き届いているわけですが、果たして今の日本はどうなのでしょうか?
(弘邦医院・林雅之院長)