マンション住まいになって内弟子を取らない棋士が増えた
53年前の1965(昭和40)年1月。私(当時14)は、奨励会(棋士養成機関)の入会試験を6級で受けた。そして、試験対局で2連敗したのだが、師匠の佐瀬勇次七段(同45)の口利きによって、「裏口入会」することになった。
私は、棋士への一歩を何とか踏み出せた。しかし、アマ二段ほどの棋力だったので、奨励会の対局では厳しい洗礼を受け、いきなり7連敗。8戦目にやっと初勝利すると、兄弟子の米長邦雄四段(同21)から「おめでとう」と声をかけられた。
奨励会への入会者は、昔は年間で数人と少なかった。ところが、65年は関東だけでも約15人と増え、新入会員の中には私よりも弱い者たちがいた。
私は、彼らを“カモ”にして白星を稼ぎ、入会して1年後には、6級から3級に昇級した。
中学卒業を控えた66年1月。私は、米長から「高校に進学したらどうか」と勧められた。高校でクラブ活動をしたり友人をつくることは、決して将棋のマイナスにならない、というのが米長の持論だった。実際に米長は高校と大学に進学し、将棋と学業の両立を実践した。