正岡子規(1)2002年に殿堂入り…「野球」の名付け親は本当?
では、この野球好きの青年が、どんな生涯を送ったのか。少し追ってみることにしましょう。子規は1867年、慶応3年に、現在の愛媛県松山市に生まれました。父は松山藩の下級藩士。子規自身は、父について「父は武術にもたけ給はず。さりとて学問とてもし給はざりし如く見ゆ」と書いています。文武どちらの才もなかった、と息子に評されたわけです。こんなことまでバラされるのは、勘弁してほしいですね。
一方、母は藩の儒者、大原観山の娘でした。子規は外祖父の私塾に通って漢書の素読を習い、少年時代から漢詩、戯作、軍談、書画などに親しみました。彼の文才は、どうも母方から伝えられたような気がします。諱は常規。先ほど紹介した「升」は幼名です。
松山藩は、久松系松平家が治める親藩15万石でした。徳川家康の生母、お大の方は、松平広忠と離別したのち、久松俊勝に再嫁します。そこで生まれた康元、康俊、定勝は、異父兄の家康に取り立てられ、松平姓を名乗ることを許されました。これが久松松平家です。松山藩を治めたのは定勝の系統で、NHKの名物アナウンサーだった松平定知さんも、その子孫に当たります。
■関連記事
-
日本の皇族存続への危機と「愛子天皇待望論」 皇室典範改正で旧宮家の男性が「養子」に…受け入れ可能な4宮家が抱える難題とは
-
クラフトウイスキーを飲む旅に出る 【富山・三郎丸蒸留所】ウイスキー造りを五感で体験 樽工房を一般に公開している希少な蒸留所
-
パブ&ビアバー 珠玉の一杯をじっくり味わう ビアライゼ'98(東京・新橋)「ビールメーカーが生みの親なら、注ぎ手は育ての親。最後に一杯を完成させるんです」
-
風を感じてビールをグビッ! 最高にうまい外飲みが楽しめる3軒 サカナヤマルカマ(神奈川・鎌倉)刺身と総菜で一杯…魚屋の角打ちはもはや料理屋レベル
-
注目の人 直撃インタビュー 相次ぐ情報漏洩…サイバー攻撃は誰が何の目的でやっているのか? セキュリティーの専門家に聞いた


















