甲子園“ラッキーゾーン”誕生秘話 「ファンが湧くのは本塁打」若林忠志は監督就任に条件を付けた
若林は要請を受諾するにあたり、3つの条件を出した。①新人選手の獲得、②マスコミ対策、そして③に甲子園球場を狭くすることとした。球団は①と②については了解したものの、③については多額の経費がかかることから簡単に認めることができなかった。
若林の言い分は、「ファンが沸くのはホームランです」。大リーグはホームランブームで、その立役者のベーブ・ルースが来日してその魅力と価値を示したことが背景にあった。若林は「甲子園は広すぎて日本選手の力では本塁打は増えない」と付け加えた。新時代のニッポン野球を提案したのである。
甲子園は、この年の1月10日にGHQの接収解除。阪神はシーズン中の5月26日に金網を設置、両翼を103.6メートルから85.4メートル、左中間と右中間を118.9メートルから108.5メートルと短くした。その名は「ラッキーゾーン」。それまで、各チームで行われた36試合は本塁打ゼロだったが、以後の77試合で60本塁打が出たという。若林は投手として通算200勝を含む26勝をマークしてMVPに選ばれた。
阪神は強打が売り物となり、「ダイナマイト打線」の異名がついた。まさに幸運を呼ぶ金網だった。“打者の聖地”ともいえるゾーンは高校野球でも多くの本塁打を生んだが、91年限りで姿を消し、金属バットの時代を迎えた。



















