日本人初ミドル級王座・竹原慎二 世界戦1カ月前に肋骨骨折

公開日: 更新日:

 1995年に日本人として初のミドル級世界王者に輝いた竹原慎二さん。勤めていた内装会社の社長の援助を受けながら、ついに世界タイトルをつかんだ瞬間は、勝った喜びより殴り合ったうれしさでいっぱいだった?

 上京して入った内装会社の社長さんにはとてもお世話になりました。最初は寮に住まわせてくれたし、「日本チャンピオンになったらマンションに住まわせてやるからがんばれよ」と言って本当に住まわせてくれた。家賃10万円くらい。会社がかなり負担してくれてありがたかったですね。

 新人王になった時には社長がテレビとビデオを揃えてくれたし、日本王者になってからは試合で勝つたび、20~30人集めて祝勝会をやってくれました。仕事は普通18時か19時までなのに、現場が都内だと17時とか、横浜でちょっと遠い時は15時半くらいで上がらせてくれたのでその時間から練習に行けた。それが一番助かりましたね。

 日本王者のファイトマネーは当時で80万円くらいで、防衛戦は年に3回だから、東洋太平洋王者になるまではその内装会社で働いていました。

 世界挑戦は95年の12月でした。東洋太平洋の6度目の防衛戦の頃に、世界挑戦がようやく決まった。でも、そこからが大変で、世界戦の1カ月前にスパーリングでアバラ骨を折ってしまった。3~4日休んだ後、さらしやコルセットをきつく締めて練習した。骨に響くけど、やるしかない。それまでも拳のケガとかあっても乗り越えて勝ってきたし、練習中の骨折なんて、負けた言い訳にはならないじゃないですか。2週間したら、骨がくっついてきたみたいで、よく動けるようになった。

 ミドル級だとスパーリングの相手があまりいない。ミドル級の日本チャンピオンとやったり、軽い階級の選手と1人1ラウンドずつ戦ったり。つまり、1度のスパーリングで7、8人を相手にするんです。引退後に出演した「ガチンコ!」(TBS系)のファイトクラブみたい。僕より少し軽い選手は1ラウンドだけだと、思い切り向かってくる。その選手は3ラウンド休んでまた僕と戦う。僕にとっては入れ代わり立ち代わり選手と戦い、充実した練習になりました。

最新の芸能記事

日刊ゲンダイDIGITALを読もう!

  • アクセスランキング

  • 週間

  1. 1

    永野芽郁“”化けの皮”が剝がれたともっぱらも「業界での評価は下がっていない」とされる理由

  2. 2

    ドジャース佐々木朗希の離脱は「オオカミ少年」の自業自得…ロッテ時代から繰り返した悪癖のツケ

  3. 3

    僕の理想の指導者は岡田彰布さん…「野村監督になんと言われようと絶対に一軍に上げたる!」

  4. 4

    永野芽郁は大河とラジオは先手を打つように辞退したが…今のところ「謹慎」の発表がない理由

  5. 5

    “貧弱”佐々木朗希は今季絶望まである…右肩痛は原因不明でお手上げ、引退に追い込まれるケースも

  1. 6

    大阪万博「午後11時閉場」検討のトンデモ策に現場職員から悲鳴…終電なくなり長時間労働の恐れも

  2. 7

    威圧的指導に選手反発、脱走者まで…新体操強化本部長パワハラ指導の根源はロシア依存

  3. 8

    ガーシー氏“暴露”…元アイドルらが王族らに買われる闇オーディション「サウジ案件」を業界人語る

  4. 9

    綱とり大の里の変貌ぶりに周囲もビックリ!歴代最速、所要13場所での横綱昇進が見えてきた

  5. 10

    内野聖陽が見せる父親の背中…15年ぶり主演ドラマ「PJ」は《パワハラ》《愛情》《ホームドラマ》の「ちゃんぽん」だ