津野田興一
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津野田興一都立立川高校教諭

1965年生まれ。東京都立大学大学院人文科学研究科史学専攻修了。現在、東京都立立川高校で世界史を教える。著書に「世界史読書案内」(岩波ジュニア新書)、「やりなおし高校世界史―考えるための入試問題8問」(ちくま新書)、「第2版 ポイントマスター世界史Bの焦点」(山川出版社)など。

シリア難民流出で欧州諸国が払わされる「帝国主義」のツケ

公開日: 更新日:

 今回は風刺画を見ていただきましょう。図①が示すものはなんでしょう? どうやらドミノ倒しになぞらえているようですが、倒れ始めた赤いドミノ、そして2つ目の青いドミノに描かれた人物とは誰でしょうか?

■「フェイスブック革命」

 赤いドミノはよく見るとチュニジアの国旗ですね。青いドミノの人物はエジプトのムバラク大統領です。これは、ブラジルの風刺漫画家であるカルロス・ラトゥッフが描いた「アラブの春」を表す作品でした。

 2010年12月、北アフリカのチュニジアで始まった民主化運動は、フェイスブックを通じて全国的な騒乱になったことで「フェイスブック革命」とも呼ばれました。これを機に翌年にかけて、主にアラブ諸国で次々と政変が起こります。チュニジアのベンアリ政権(23年間)、エジプトのムバラク政権(30年間)、リビアのカダフィ政権(42年間)など長期独裁政権が打倒されてゆきました(地図②)。

 しかし欧米諸国が「プラハの春」になぞらえた「アラブの春」によって、むしろ混迷が深まったかもしれません。一定の民主化が実現したチュニジアは例外で、エジプトでは選挙で選ばれたムスリム同胞団のムルシ大統領に対し、軍部が2013年にクーデターを起こし、軍政を敷いてしまいます。またリビアでは、カダフィ亡き後、暫定政府と武装勢力との間での内戦が続いています。

■アサド政権

 写真③は何を表しているか、お分かりになりますか? 決して「きれいな花火」ではありません。2017年6月、アメリカを中心とする有志連合がイスラーム国支配下だったラッカ(シリア)に投じた白リン弾を写したものです。

「アラブの春」はシリアにも及びました。シリアでは1970年から親子2代50年以上にも及び、アサド大統領(写真④)が独裁政治を敷いています。これに対し、民主化を求める動きに加え、反政府勢力による政権打倒の動きや、クルド人などの武装勢力が入り乱れることになりました。

 アサド政権はロシアとイラン、そしてレバノンのシーア派であるヒズブッラーの支援を得ています。一方、反政府勢力の中心はアルカーイダの流れをくむスンナ派組織が含まれており、アメリカが従来「テロ組織」と認定して敵対してきた勢力でした。しかし、アメリカはその反政府勢力を支援するしかありませんでした。また、シリア内のクルド人勢力を嫌うトルコがシリア内戦に干渉します。

 この結果、反政府勢力の足並みがそろわず、さまざまな外国勢力の干渉も加わって、シリア国内は泥沼の内戦状態となりました(地図⑤)。その際、アサド政権は、ドラム缶に爆薬や鉄の球を詰めこんだ残虐兵器である「樽爆弾」を市街地など一般市民が生活する地区に無差別に落とし、多くの人命や財産を奪いました。「世界最悪の人道危機」と呼ばれる虐殺の結果、数百万人もの難民が周辺諸国に流出したのです。

■トルコを経由

 しかし、シリアの隣国のイラクはアメリカによるイラク戦争で「崩壊国家」となっており、レバノンはもともと民族と宗教の対立から内戦状態でした。イスラエルも隣国ではありますが、多くのイスラーム教徒に対する無慈悲な扱いを見ても分かる通り、救いにはなりません。

 その結果、最も多くの難民が向かったのがトルコでした。国連難民高等弁務官事務所(UNHCR)の年間統計報告書(2021年6月公表)によると、シリア難民670万人のうち、360万人以上がトルコに逃れたとされています。さらに、トルコ経由で豊かなヨーロッパ、具体的には人道問題に手厚いと考えられたドイツへと向かうルートが形成されました(地図⑥)。

 しかし、その途上にあるギリシアなどの諸国では、毎日のように訪れる難民に対する処遇に苦しみ、とうとう国境の閉鎖をおこないます。EU諸国の多くは、シェンゲン協定によってビザもパスポートもなく自由に国境を越えることが許されるのですが、国境にフェンスを築いて難民を拒絶する国も現れました。

■各国の対応

 キリスト教徒の国々がイスラーム教徒を入れたくないというのは理解できる、と思う人がいるかもしれません。しかし、シリアは多民族で多宗教の国です。難民の中にはキリスト教徒もいます。その後、ヨーロッパでは右旋回が始まり、国境を閉ざしたハンガリーのオルバーン政権、イスラームに対するヘイトスピーチを公然とおこなうオランダのウィルダース議員など、反イスラームかつ排外主義の機運が高まってきているのです。

 EU内で最も経済力のあるドイツですら、AfD(ドイツのための選択肢)という極右政党が議席を大幅に伸ばしています。現在、たまたまコロナ禍によって覆い隠されていますが、難民問題が消えたわけではありません。

 これに対してトルコはイスラーム教徒やキリスト教徒を区別したりはせず、難民を受け入れています。イスラームという宗教には、困っている人を助けるという義務があるからです。しかし、さすがにそれも限界に達しています。

■サイクス・ピコ協定

 歴史を振り返ると、シリアは1946年に独立しますが、そもそも、その境界線はイギリスとフランスが1916年のサイクス・ピコ協定で秘密裏に取り決めたものがベースとなっていました。同協定はオスマン帝国の領土分割や勢力範囲を定めた帝国主義政策の一環で、宗教や民族の分断を生むなど多くの「後遺症」を残してしまいました。

 また、東西冷戦期にはシリアへの支援を米ソが競ったりもしました。シリアでアサド大統領親子が長期の独裁政権を続けることができた背景には、このような欧米諸国の干渉が影響を及ぼしています。

 現在のヨーロッパ諸国の繁栄の裏側に、西アジアやアフリカに対する支配という歴史的事実がある以上、ヨーロッパ諸国はシリアなどからの難民問題に無関心を決め込むことはできないはずです。ヨーロッパ諸国は自らの過去に対する「ツケ」を、いったいどのように払うのでしょうか。

■もっと知りたいあなたへ

イスラームからヨーロッパをみる
内藤正典著(岩波新書 2020年) 990円

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