キャスコ 阿部二幸社長(1)生コンのオペレーターが社会人のスタート
「メーカーよりも小売店のほうが立場が強い。屈辱感を味わうこともあり、それで辞めていく人も見てきましたが、私の場合、相手の立場も経験しているので、相手の出方やこういう話をすれば相手が喜ぶといったこともわかるのが強みでした」
当時、この業界は返品が多かったが、それをなくすために、たとえば、ゴルフ場や店舗のロゴを入れてOEM生産を客先に提案し、返品ゼロの商売に力を入れるなどして実績を残していったという。仙台営業所長を経て、01年に香川県さぬき市の本社に呼ばれた。役職はマーケティング企画グループマネジャー(課長職)。
「営業や商品、PRの統括です。全国の主要取引先に自ら出向きました。おかげで全国の情報が得られ、たとえば、東の情報を西の得意先に伝えたりするなどして各地の得意先と接点ができ、その人脈は今も生きています」
06年に執行役員、14年に常務に就任した。
「常務になった時、会社の経営全体を見る経営企画室をつくり、室長になりました。そして、それまではメーカー色が強く、プロダクトアウトになりがちな発想をマーケティングの発想に変えていき、また、縦割りだった各部門に横串を入れ、毎週月曜日に各部門の責任者が集まり、開発やプロモーションの話などをして、共通の情報と認識を持つようにしました。これは今も続いています」
このような取り組みの成果が認められ、常務を経て、18年に社長に就任した。生コンのオペレーターから約33年、ゴルフ用品メーカーのトップに上り詰めたのである。 (つづく)
(ライター・坂本俊夫)