著者のコラム一覧
六川亨サッカージャーナリスト

1957年、東京都板橋区出まれ。法政大卒。月刊サッカーダイジェストの記者を振り出しに隔週、週刊サッカーダイジェストの編集長を歴任。01年にサカダイを離れ、CALCIO2002の編集長を兼務しながら浦和レッズマガジンなど数誌を創刊。W杯、EURO、南米選手権、五輪などを精力的に取材。10年3月にフリーのサッカージャーナリストに。携帯サイト「超ワールドサッカー」でメルマガやコラムを長年執筆。主な著書に「Jリーグ・レジェンド」シリーズ、「Jリーグ・スーパーゴールズ」、「サッカー戦術ルネッサンス」、「ストライカー特別講座」(東邦出版)など。

「岡田メソッド」の本質は「考える力と状況判断力」にある

公開日: 更新日:

 当時の取材ノートを引っ張り出してみた。

 試合は日産(当時)の木村和司がドリブルでDF2人を抜いて鮮やかな先制点を決めた。

 しかし、後半に90/91年シーズンのブンデスリーガ得点王ボールファルトに2ゴールを許して逆転負けを喫した。

 岡田氏はというと、前半6分と27分に2度のバックパスをミスし、相手にボールを渡してしまった。現役の選手として衰えを感じたのかもしれないが、そのプレーが引退を決意することにつながった可能性は高いだろう。

 現役引退後は古河電工やジェフ市原のコーチを務め、1995年に日本代表のコーチに就任。そして1997年10月、成績不振によって加茂周監督が更迭されたことに伴い、監督に就任して日本をワールドカップに導いた。その後の活躍はファン、サポーターならずとも詳しくご存じのはず。

 そんな岡田氏が「代表の監督になって、どうしても越えられない壁があった」と振り返る。

 それは「日本人に限らず、中国人も主体的にプレーできない。主体的に生きることが苦手」ということだった。

日刊ゲンダイDIGITALを読もう!

  • アクセスランキング

  • 週間

  1. 1

    参政党・神谷宗幣代表が街頭演説でブチまけた激ヤバ「治安維持法」肯定論

  2. 2

    「自公過半数割れ」後の大政局…反石破勢力は「高市早苗首班」で参政党との連立も

  3. 3

    元小結・臥牙丸さんは5年前に引退しすっかりスリムに…故国ジョージアにタイヤを輸出する事業を始めていた

  4. 4

    自民旧安倍派「歩くヘイト」杉田水脈氏は参院選落選危機…なりふり構わぬ超ドブ板選挙を展開中

  5. 5

    「時代に挑んだ男」加納典明(25)中学2年で初体験、行為を終えて感じたのは腹立ちと嫌悪だった

  1. 6

    トップ清水賢治社長に代わったフジテレビの“アニメ推し”が目に余る

  2. 7

    参院選和歌山「二階vs世耕」は血みどろの全面戦争に…“ステルス支援”が一転、本人登場で対立激化

  3. 8

    参政党が消せない“黒歴史”…党員がコメ農家の敵「ジャンボタニシ」拡散、農水省に一喝された過去

  4. 9

    長嶋茂雄さんの引退試合の日にもらった“約束”のグラブを含めてすべての思い出が宝物です

  5. 10

    遠野なぎこさんは広末涼子より“取り扱い注意”な女優だった…事務所もお手上げだった