阪神1位佐藤輝明 柳田2世を生んだ講道館杯優勝柔道家のDNA

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佐藤家3代の夢

 息子を野球選手にという祖父の勲さんの夢は、世代を超えて孫である輝明へと受け継がれた。そして博信さんは、佐藤にこんな思いを託した。

「私自身、何かしらの競技でプロスポーツ選手になりたいと思っていましたが、それに向けて全力を傾けることができなかった。子どもたちには『好きなことに対して、とにかく頑張ってほしい。それがお父さん、お母さんの夢だから』と伝えてきました。スポーツでもなんでも、好きなことに全力を傾けてほしいと思っています」

 そのためのサポートも惜しまない。

「私生活の部分で厳しく叱ったことはありますが、野球に関しては常に褒め続けました。ホームランを打てば、『おまえには飛ばす才能がある』と。お寿司が好きで、ホームランを打ったご褒美として回転寿司に連れて行ったり。私は父(勲さん)に『小学生で野球をやめると言った時、野球の才能がある、と言ってくれていたら、野球を続けたかもしれない』と話したことがあります。褒めることでやる気を引き出せたらという思いで、接してきました」

 佐藤が小学6年の時、タイガースジュニアに選ばれた。しかし、大会前に右肘を痛めた。佐藤をおもんぱかった監督が「投げることは難しくても、打つことくらいはできるだろう。試合で打ってみるか?」と声をかけてくれたが、佐藤は「肘を治したいから出ません」と言ってランナーコーチに専念した。博信さんは、「つらかったと思いますが、先を見ていたのだと思います」と、振り返る。

■勉強机はいらんやろ

 博信さんは佐藤が仁川学院高2年の時に、大きなベンチプレスのセットを買い与えた。

「部屋にベンチプレスを置くとなると、勉強机を取り払う必要があった。私が(輝明に)『もう、勉強机はいらんやろ』と言うと、『そうやな』という感じで。机を解体し、物置へ収納しました。妻(晶子さん)からは不評を買いましたが……(苦笑い)」

 プロ野球選手になるため、親子が覚悟を決めた瞬間だったのかもしれない。

「父(勲さん)が私のために鉄棒や砂場を造ってくれたり、『俺の夢だった』と言って敷地にテニスコートを造ってくれたりした。私自身も、子どもたちに似たようなことをしてやりたいと、思っていました」

 祖父、父、輝明……。夢は3代にわたって受け継がれ、成就したのである。

▽さとう・てるあき 1999年生まれ。甲東小1年から野球を始め、甲陵中では軟式野球部所属。仁川学院高時代は甲子園出場なし。近大では1年春から中軸を打った。ポジションは三塁、外野。右投げ左打ち。家族は父、母、次男、三男。

【連載】20年ドラフト選手の“家庭の事情”

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