香港から帰国と情報が錯綜…「あら輝」店主にまつわる話
前回、あら輝さんが帰ってくるらしいと書いたが、しばらくは香港から動かないという最新情報が入ってきた。周囲の目を引きながら邁進する人なのだ。僕が10年以上、観光大使を務めている熊本県荒尾市で育ったと聞いて、さらなるご縁を感じた。
祖父は熊本の宴会場のコックさんで、料理の他に氷の彫刻なども得意だったそうだ。高校卒業後に料理人を目指して東京に出たが、最初から寿司職人を目指していたわけではなかった。箱根のマンモスホテルに就職して和食と寿司を5年。その後、横浜の居酒屋からとんかつ屋を渡り歩いた後、日本を飛び出してオーストラリアの和食の店に入った。
その時たまたま見た雑誌で目黒の名店「いずみ」の大将が握った美しい寿司の写真を見て心引かれ、帰国して弟子入りをした。数年で板場を任されるようになったが、さらに視野を広げるために、休みの日には白洲次郎氏も通った銀座の「きよ田」に出向き、大将の新津さんから人としてのあり方も含めて指導を受けた。