近代五輪が商業主義に堕ちるまで 綱引き&芸術競技もあった
ここに一枚の写真(①)があります。五輪マークの下に、英語で「公式ソフトドリンク 1996五輪大会」と書いてあります。これは1996年の第26回アトランタ大会にまつわる写真です。一見華やかな写真ですが、ここにはオリンピックという国際イベントが抱える「光と影」が写されていると思うのです。
そもそも近代オリンピックはどのような脈絡から始まり、どのような展開を遂げたのでしょうか。主に夏季大会に焦点をあてて考えてみましょう。
■クーベルタン男爵
フランスのクーベルタン男爵が提唱して、1896年に第1回近代オリンピックが開かれました。もともとの古代オリンピックは、オリンピアというギリシアのポリスで開催されていたのですが、この時は同じギリシアでもアテネでの開催となりました。
■「アマチュア」の削除
第4回のロンドン大会(1908年)からは、アマチュア規定が盛り込まれました。実際に第5回のストックホルム大会(1912年)では、アメリカのジム=ソープが陸上競技で優勝しましたが、運動能力が高かったため1909年にマイナーリーグで野球選手として契約していたことが判明し、メダルを剥奪されています。
その後、プロスポーツの普及とともに金銭のやりとりが公然と行われるようになると、1974年にオリンピック憲章から「アマチュア」という言葉が削除されました。そして1980年にIOC(国際オリンピック委員会)会長となったサマランチのもと、プロ選手の参加が認められ、1984年にアマチュア規定も廃止されました。この年のサライェヴォ冬季大会と、第23回夏季ロサンゼルス大会からはプロ選手が公然と参加するようになったのです。
■「いだてん」
日本人が参加し始めたのは、NHKの大河ドラマ「いだてん」の主人公である金栗四三と三島弥彦が陸上競技に出場した第5回ストックホルム大会からです。その背景には「柔道の父」嘉納治五郎が、IOC委員となったことがありました。
なお、この大会では「綱引き」が正式種目とされていただけでなく、クーベルタン男爵の希望で「芸術競技」というジャンルもあり、ずいぶんと幅の広いものでした。建築、絵画、彫刻、音楽、文学の5部門でメダルを争うなど大変ユニークな競技で、オリンピックの内容が模索されていた時代の象徴のような出来事と言えるでしょう(1948年の第14回ロンドン大会まで存続)。
ナチスが始めた聖火リレー
オリンピックは政治と戦争に翻弄されたものと言うこともできます。1916年の第6回ベルリン大会は第1次世界大戦によって中止され、1940年の東京大会は日中戦争と第2次世界大戦によって返上となりました。また、東京大会の代替として第12回ヘルシンキ大会が予定されましたが、1944年の第13回ロンドン大会とともに中止とされています。
いっぽう、「ヒトラーの大会」と呼ばれた1936年の第11回ベルリン大会では、ドイツとナチ党が国家を挙げてプロパガンダ(宣伝)をおこない、オリンピックは政治利用の道具と化しました(写真②)。なお、ヒトラーはナショナリズムを喚起して同大会を盛り上げ、国内の世論をまとめあげるために「聖火リレー」を始めています。
女性の参加
オリンピックに女性が参加したのは意外に古く、第2回のパリ大会(1900年)からでした。しかし、参加できる競技は男性に比べて極端に少なく、当時の世界やスポーツ事情など、時代の価値観を反映したものとなっていました。
<表>は女性の参加が可能となった競技と年代を表すものです。初期の種目としてはテニス、ゴルフ、馬術など「上流階級」と密接に関連するものが多かったことに気づかされます。その後、第2次大戦後になるとスポーツを楽しむ女性が増加したことを反映して、バレーボールやバスケットボールなどで門戸が開かれます。そして1990年代以降はサッカー、レスリング、ボクシングなどの激しい競技やコンタクトスポーツにも広がりました。ここに至って、男女の壁がようやく取り払われたと言うべきでしょうか。
すべての競技で女性が参加できるようになったのは、2012年の第30回ロンドン大会以後なので、ごく最近のことだったのです。
放映権料の肥大化
1976年にカナダで開催された第21回モントリオール大会は、当初の予算が3億2000万ドルとされていましたが、石油危機による原油価格の高騰もあって膨れ上がり、13億ドルにも達してしまいました。そのため、オリンピック後に巨額の税金投入による返済を余儀なくされたのです。先述の通り、この大会からアマチュア条項が削除されたこともあり、以後のオリンピックでは「商業五輪」と揶揄されるように放映権料収入などスポンサー契約によって支えられるようになってゆきます。そのモデルをつくったのが第23回ロサンゼルス大会であり、第26回アトランタ大会は「商業五輪の頂点」と批判されました(写真①)。
放映権料やスポンサー収入のうち、肥大化していったのが放映権料でした(グラフ参照)。そして、その権利を握ったアメリカの放送会社の利益に合わせて、各競技の放映もアメリカのゴールデンタイムに強制的に合わせられるようになったのです。「アスリートファースト」には程遠い現実でした。
勝利至上主義の蔓延
年配の方は覚えてらっしゃるでしょう。写真③は1988年の第24回ソウル大会において、カナダのベン=ジョンソンが100メートル走で優勝した時のものです。奥に写っているカール=ルイスも好記録を出しましたが及ばず、ベン=ジョンソンは世界記録(当時)を大幅に更新する9秒79をマークしました。しかし、のちに筋肉増強剤を使用していたことが発覚し、金メダルを剥奪されます。
オリンピックからアマチュア精神が消え、商業主義にもとづく勝利至上主義が蔓延する中、オリンピックはドーピング問題という副作用を経験しています。アスリートの純粋な努力が公平かつ公正に審判されるオリンピックであって欲しいと思いますし、政治や商業からのバイアスを極力減らすことが求められるべきなのだと考えるのです。
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「歴代オリンピックでたどる世界の歴史 1896▷2016」
「歴代オリンピックでたどる世界の歴史」編集委員会編(山川出版社 2017年) 1500円(税別)