石井丈裕の“らしさ”がでた完全アウェーの韓国戦…球場内は大ブーイングも、それが彼の良さだった
全日本野球協会会長・山中正竹による「オリンピック野球伝道」(第8回=2020年)を再公開
日刊ゲンダイではこれまで、多くの球界OB、関係者による回顧録や交遊録を連載してきた。
当事者として直接接してきたからこそ語れる、あの大物選手、有名選手の知られざる素顔や人となり。当時の空気感や人間関係が、ありありと浮かび上がる。
今回は西武などで活躍した石井丈裕氏について綴られた、全日本野球協会会長・山中正竹による「オリンピック野球伝道」(第8回=2020年)を再公開。年齢、肩書などは当時のまま。
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1988年ソウル五輪では、のちに西武ライオンズで活躍する2人の右腕がチームの中心にいた。石井丈裕(プリンスホテル)と、潮崎哲也(松下電器)である。
当時23歳だった石井は、野茂英雄(新日鉄堺)、潮崎による投手3本柱の軸だった。予選リーグ初戦のプエルトリコ戦に先発、2戦目の台湾戦でリリーフとして登板。そして、最も大きなヤマ場であった準決勝の韓国戦と、決勝の米国戦で先発を託した。
88年のドラフトで、石井とともに西武から指名される3学年後輩の右腕、渡辺智男(NTT四国)が五輪直前の世界選手権(イタリア)の米国戦で右肩を故障。本番ではこの2人に主戦を任せる予定だったが、長いイニングを投げることが難しくなり、石井への期待はますます高まった。