ロッテ2位・毛利海大 父が語る炎天下の「やってよかった」荒療治…先輩の失策で不貞腐れた息子に喝入れた
「今でも妻とは『やってよかったね』と話しています」
「野球選手としても人としても絶対に良くない立ち居振る舞い。試合後に海大を呼び出し、『もう野球やめろ。走って帰れ!』と。炎天下で家までの約10キロを走らせました。監督からは止められましたが、どうしても息子に必要な経験だと思い、強行しました」
車で先に帰宅した貴博さんは、玄関前に毛利の野球道具を放置。毛利は泣きながら道具を拾い集め、「二度と同じことはしないから、野球を続けさせてください」と頭を下げた。あの日を境に、仲間のミスにも笑顔で接するようになったという。
「荒療治でしたけど、今でも妻とは『やってよかったね』と話しています」
人間的に成長を遂げた毛利は、全国の複数の強豪から勧誘を受け、地元の福岡大大濠へ。
「1学年上のオリックスの山下舜平大くんにもかわいがってもらって、充実した3年間でした」
明大進学後は毛利が弱音を吐いたことも。
「1年目のオフに帰省した時に『明治はなんでオレなんかを取ったんだろう』『もう戻りたくない』と。人生初の挫折です。それでも上級生になるにつれ出場機会が増え、自信をつけたみたい。帰省中は必ず実家近くの坂を走ってから遊びに行っています。本人も『いい坂だ』と思っているんでしょう」
野球の話になると、つい息子に口出しすることもある。貴博さんが言う。
「『低めに投げろ』『あそこは違うだろう』なんて指摘すると、息子も空手で鍛えた気の強さで言い返してくる。そのたびに『またやっちゃったな』と反省しています(苦笑)。プロに行ったらさすがに口出しは控えめに……できますかねぇ(苦笑)」 (随時掲載)
▽毛利海大(もうり・かいと)2003年9月14日、福岡県田川市生まれ。伊田小(伊田レッドスター)、伊田中(鷹羽ボーイズ=日本代表選出)を経て福岡大大濠高へ。3年春のセンバツで8強。明大4年時に日米大学野球選手権で最優秀投手賞を獲得。左投げ左打ち。身長177センチ、77キロ。最速151キロ。本来は右利き。野球以外は右手でこなす。
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