オープン戦での“ポカ”をきっかけに2000年はアップシューズで全打席に立つハメになった
翌シーズンはキャンプからスパイクを履いた。大変だったのもあるが、他にも理由がある。
その年のオフの契約交渉。査定担当者から現状維持を告げられた。
99年は28本塁打で、打率.246。3割超えでトントンは解せない。
「俺、3割打ってますよ?」
食い下がると、こう斬り捨てられた。
「だっておまえ、全然ホームラン打ってねえじゃねえか」
98年のオフには打点が少ないことを材料に、この査定担当から「何だ、この成績。おまえ、終わってんな」と罵られたこともある(98年成績は打率.255、本塁打27本、打点86)。
やっぱり求められているところは本塁打なのか。そう思って、すぐにスパイクを履くことにした。


















