オープン戦での“ポカ”をきっかけに2000年はアップシューズで全打席に立つハメになった
ヤクルト戦で打席に入るたび、捕手の古田敦也さんから「武司、おまえ、何でスパイク履いてないんだよ」と囁かれた。「話せば長くなるんで、また今度ゆっくり話します……」と苦笑いで答えるしかなかった。
とはいえ、このスタイルを貫くのは容易じゃなかった。打席ではスパイクで土を掘ってから足場を固めるが、アップシューズだとそれができない。そこで、前の打者が掘った穴を平らにならし、小さな山をつくった。その山に左足裏の内側を引っかけるようにして打った。
スパイク履こうかな……。シーズン中、何度も思い悩んだが、監督推薦で選ばれたオールスターにもアップシューズで出場。西武の松坂大輔から勝ち越しタイムリーを打ってMVPを獲得し、優秀賞に選ばれた愛工大名電の後輩・イチローと一緒にお立ち台に上がった。
1年間、打席でセコセコと山をつくり続けた結果、本塁打こそ18本に減ったけど、打率は.311をマークした。
安打を量産できたのは、前年のケガの影響もあった。
1999年、リーグ優勝を決めた9月30日のヤクルト戦で骨折した左手首がなかなか完治せず、開幕後も痛みが引かなかった。キャンプでバットを思い切り振れず、シーズンでも小手先で打つような形に。これがかえって奏功したのか、無駄な力みが抜けて結果が出た。ケガの功名だ。


















