「変節と愛国 外交官・牛場信彦の生涯」浅海保著

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 戦後生まれの日本人の多くは、牛場信彦の名を駐米大使として記憶しているのではないだろうか。吉田茂が主導した対米重視路線の先兵を務めた人物である。

 牛場は戦前、若手外交官として赴任していたベルリンで、ヒトラーの全盛期を目の当たりにし、ナチスドイツを肯定的に受け入れる。第1次大戦後の英米本位の平和主義に異を唱え、現状打破を主張して、外務省の革新派、枢軸派と目された。枢軸外交は日独伊三国同盟に進展。結果として、敗戦への道を突き進むことになった。歴史的な過ちを犯し「国を滅ぼした」として、牛場ら枢軸派は終生、汚名を負うことになった。

 そして、枢軸派から対米重視へ。これは大いなる変節ではないか。

 晩年の牛場と面識もあるジャーナリストの著者が、その生涯を追い、「枢軸派とは何だったのか」を見極めようと試みている。

 牛場は明治42年生まれ。青白き秀才タイプだったが、一高、東大時代に兄・友彦の勧めで漕艇部に所属。たくましく変貌し、体育会系の生き方を心身にたたき込む。戦い始めたからには勝つ。弱音は吐かない。信じた人をとことん支える。目の前の課題に突進する。全力を尽くし及ばなければ、潔く負ける……。

 著者は、日本現代史の紆余曲折の中で牛場の言動を追いながら、その根底には「愛国」があったことを浮かび上がらせる。牛場にとって、日本が国際的な二流国として格付けされるのは耐え難いことだった。

 戦後、一度は外務省を追われた後、復活を遂げたのは、牛場が戦後の日本に必要とされていたからだった。

 牛場にとって「生きる」とは「公」のために身を粉にすること。病身を押して最後まで力を尽くし、昭和59年に死去。享年75。壮烈な戦死ともいえる最期だった。

(文藝春秋 940円+税)

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