「富士日記の人びと」校條剛著

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「富士日記の人びと」校條剛著

 40年以上も前のこと。成城の大岡昇平宅を訪れたとき、和服姿のすらりとした老婦人がドアを開け迎え入れてくれた。その婦人を見た瞬間、“あっ、「富士日記」に出てくる「大岡夫人」だ”と思ったのをよく覚えている。武田百合子の「富士日記」は、夫の作家武田泰淳の(強制的な)勧めで、夫妻が購入した富士桜高原の別荘での暮らしの様子を描いた日記だ。1964年7月18日から泰淳の死ぬ1カ月前の76年9月9日まで記されている。透明な文体と秀逸なユーモアで高い評価を受け、「富士日記」=百合子ファンは今でも多い。

 著者は10年前に武田山荘の近所にセカンドハウスを購入、現在は冬場以外の年間4、5カ月を山荘で暮らしている。本書は「日記」に登場する人びと、百合子さんがよく通った店、夫妻お気に入りの場所などを訪ね歩いたもの。まずは、すでに取り壊されていた武田山荘の場所捜し。しかし、山荘近くの景色も変化を遂げ探索は思いのほか難航し、捜し当てるまでの経緯はちょっとしたミステリーの謎解きだ。

「日記」には近所に山荘を持っていた大岡昇平夫妻が頻繁に登場し、楚々とした大岡夫人の描写は心に残る。深沢七郎との交流も印象的だが、なんといっても本書の読みどころは、地元の住民たちと夫妻との交流だ。中でも、石屋の外川さん、「スタンド」のおじさん、スタンドで働くノブさんという登場回数ベスト3の3人については、関係者への丹念な取材によって「日記」には書かれていない彼らの人柄やその後の暮らしぶりが描かれ、そうした彼らを慕った百合子さんの人柄もくっきりと浮かんでくる。

 今年は百合子さんの没後30年。「日記」に登場する人たちもほとんどが鬼籍に入っている。それでも、「富士日記」という稀有なる作品は、平安朝以来の日記文学の系譜に連なるものとして、今後も長く読み継がれていくことだろう。 <狸>

(河出書房新社 1980円)

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