松尾雄治さん(2)2年目に椎間板ヘルニアが悪化…目の前が真っ暗になった
左足の腫れているところを切ったら、バーッと膿が出てきた
──その後、壮絶なリハビリを?
「はい。足が高齢者のように細くなっちゃって。4カ月間、筋肉強化をしました。実は手術翌日に歩行器で歩いてみたんです。主治医に見つかって、すごく怒られましたが、居ても立ってもいられなかったんですね。リハビリは朝から晩まで体育館です。きつかったけれど、担当の先生が来ない時があったんです。でも、そういう時って、『しめしめ』とは思わないんですね。しょうがないから自分でやる。すると先生が出てきて、そういう自主性が大事なんだと言われました。やらされているリハビリでは駄目なんですね」
──椎間板ヘルニアの手術後に4カ月のリハビリ治療など常識では考えられません。化膿性髄膜炎で下半身が弱っていたのでしょう。しかし、新日鉄釜石はその後、7連覇を達成しますが、7連覇の最後の試合で松尾さんは引退されます。この時も壮絶でしたね。
「85年の1月です。6日の神戸製鋼戦を完封勝ちして社会人日本一となった釜石は15日に同志社大と日本一を争うことになっていました。でも、このシーズンは腰痛がぶり返し、かばっているうちに左足を痛めた。捻挫かなと思っていましたが、どんどん酷くなる。痛み止めを打ったり、足首の関節にたまっていた水を抜いたりしましたが、患部が象の足のように腫れあがり、くるぶしが見えない。触るとブヨブヨしている。これはただの捻挫じゃないということで、再び、東京厚生年金病院を訪ね、腰を執刀してもらった森健躬先生に診てもらったんです。先生は『こりゃ大変だ』と言って、腫れているところに注射針を刺すと膿が大量に出てきた。切開するしかないとなって、切ったら、バーッと膿が出てきたんです」
──それも感染症ですね。化膿性足関節炎です。
◇ ◇ ◇
華麗なプレーでファンを魅了した一方で、ケガに苦しんだ松尾さん。お話を聞けば、2度のケガの悪化は頻回の痛み止め注射による化膿だと考えられます。感染対策の医療が進歩した今では、考えられませんが、昭和の医療ではそうでもなかったようです。松尾さんは「自分が泥まみれだったから」と医師をかばいました。こうしたところに松尾さんのお人柄が見えました。現在は腰椎椎間板ヘルニアも足関節症も確立された治療法があります。でも、当時の松尾さんには安静が許されないチーム事情もありました。象のように腫れた足を切開した状態で、松尾さんは同志社大との決勝の舞台に立ったのです。
▽松尾雄治(まつお・ゆうじ) 1954年1月生まれ、72歳。「ミスターラグビー」といわれた名選手。目黒高、明治大学、新日鉄釜石で活躍した。明大時代は4年の時に大学選手権、日本選手権で優勝。新日鉄釜石では日本選手権7連覇を達成した。日本代表の通算キャップ数は24。30歳で引退後はスポーツキャスター、成城大学ラグビー部監督、釜石への地域貢献でも知られる。現在は西麻布で「リビング」という店を営んでいる。



















