長嶋茂雄は「プロなんてちょろい。全然大したことありません」と言ってのけた
酷使、入院、マスコミのバッシングと、そんな散々な目にあえばいいかげんで腐ってもおかしくはない。今どきの選手ならここが痛い、あそこが変だと首脳陣に訴え、報道陣に口を閉ざすはずだ。
しかし、楽しいこともあった。今も覚えているのは、このシーズン中に長嶋に誘われ、あの石原裕次郎さんの成城の自宅に遊びに行った時のことだ。監督の水原茂さんに内証で出かけ、深夜まで大騒ぎ。この一件が写真付きである週刊誌に報じられ、あげく水原さんに大目玉を食うことになるのだがーー。
▼堀本律雄:1935年1月20日、大阪市出身。桃山学院高から立教大、日本通運浦和を経て1960年に巨人入団。同年に最多勝・沢村賞・新人王を受賞し、エースとして活躍。1963年から大毎(のち東京)オリオンズに移籍。通算63勝59敗。引退後はコーチ、解説者としても活動し、日刊ゲンダイの評論家として健筆を振るった。2012年1月14日肺炎で死去、76歳。
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当連載【プレイバック「私が見た長嶋茂雄」】は随時公開。次回はこのまま堀本律雄さんによる、長嶋さんと石原裕次郎さんのエピソードをピックアップ予定。
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