長嶋茂雄は「プロなんてちょろい。全然大したことありません」と言ってのけた
大変だったのは、シーズンが開幕してからだ。当時はエースの藤田元司さんが右肩を壊し、別所毅彦さんもこの年を限りに引退する。新人の私は事実上のエースとなり、セ・リーグ最多の69試合に登板。新人最多勝記録の29勝(18敗)を挙げ、最多勝のタイトルを獲得する。
こう書けばカッコいいようだが、並大抵のしんどさではない。先発と抑えの両方をやって、先発完投が26試合、途中から最後まで投げ切った交代完了がそれより多い31試合にも上っていた。
おかげでオールスター戦のファン投票ではダントツの1位。やれうれしやと大喜びしていたら、前半戦の終盤にきてケガに見舞われる。左足の靴ずれのあとにバイ菌が入り見る見るうちに腫れ上がってしまった。「破傷風の恐れがある」との診断で逓信病院に10日間入院し結局球宴には出られずじまい。入院中は看護婦の母子手帳に随分サインさせられた覚えがある。
後半戦最初のゲームは阪神戦で、いきなり無死満塁のピンチでリリーフ登板。3者三振に切って落としたら、今度は阪神にもマスコミにもシャミセン呼ばわりされた。今ほど新聞や週刊誌の多い時代ではないとはいえ、週刊ベースボールにまで「堀本、足の故障はシャミセン?」と書かれたのだからヒドい話である。
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