谷口彰悟〈前編〉筑波大時代に「代表に行く選手」と確信した技術・スピード・人間性(元筑波大サッカー部監督・風間八宏)
「Jクラブから誘われていたけど断った」
──挫折している姿を見たことは?
「ないですね。彼に聞くと『1つひとつ挫折していますよ』と言うとは思うんだけど、すぐに次のことに向かっているんで、挫折している暇がないのかな(笑)。落ち込んだり、ヤケになったりしている姿は正直、一度も見たことはありません」
──本人は「筑波で力をつけてプロになる」という明確な目標に向かっていたんでしょうね。
「大津の時もJクラブから誘われていたんだけど、『今のままでは通用しないので、筑波で成長してからチャレンジします』と断ったと聞いていますけど、そういう判断ができる高校生はなかなかいない。最終的に川崎に入ったのも本人の決断。僕には『誘われています』とは言っていたけど、相談されたことはないです」
──結果的にその川崎で谷口選手は風間さんと再会するわけですね。
「僕が2012年4月に筑波から川崎に行った後、彰悟が2014年に入団してきました。また自分のところに来てくれたのは嬉しかったし、彰悟がいると他の選手の見本になってくれる。人間性とリーダーシップに助けられたところはありましたね」
──当時の川崎は中村憲剛(現ディベロップメントコーチ)、大島僚太らを擁してはいたものの、まだ無冠のチームでした。
「僕にとって彰悟は『同じ言葉が通じる選手』。止める蹴るを筆頭に自分が伝えているプレーを見せてくれるんで、他の選手たちにも伝わりやすかった。1つ上の山越(亨太郎=日光市議会議員)、1つ下の車屋(紳太郎=現指導者)とともに重要な役割をこなしてくれました」
──風間サッカーを組み立てるキーマンだったと。
「そうですね。あれだけのスピードと技術を持ったCBはそうそういないですから。今は板倉滉に冨安健洋(ともにアヤックス)、伊藤洋輝(バイエルン)など技術と身体能力を併せ持った人材が増えてきましたけど、10数年前はそんなにいなかった。『彰悟は代表になる選手』だと確信していましたよ」
──2015年のE-1選手権で日本代表初招集された谷口選手でしたが、その後は定着できない時期が長く続きました。
「彼はいい意味でマイペース。自分のやるべきことは明確に見えているし、監督によって志向するスタイルが違うことも理解していましたけど、それを理解されるまでに少し時間がかかったのかなと見ています」(【後編】につづく)
(聞き手=元川悦子/サッカージャーナリスト)
▽谷口彰悟(たにぐち・しょうご) 1991年7月15日生まれ。熊本市出身。大津高から筑波大に進み、14年に川崎入り。17年、18年のJリーグ2連覇に貢献して22年、カタールのアル・ラーヤンに移籍。24年7月にベルギー1部シントトロイデンに移籍した。15年3月、日本代表に初招集されたが、定着したのは22年以降。同年のカタールW杯では4試合すべてに出場。23年6月のエルサルバドル戦で代表初ゴールを決めた。
▽風間八宏(かざま・やひろ) 1961年10月16日生まれ。静岡市出身。静岡商高から筑波大。在学中の80年に日本代表に招集された。卒業後は日本リーグに進まずに5年間、ドイツの2部、3部リーグでプレー。89年に帰国してマツダ(現広島)に入団し、J開幕戦(93年5月16日)に日本人Jリーグゴール第1号となった。95年に現役引退。桐蔭横浜大、筑波大、川崎、名古屋で監督を歴任。23年11月、関東リーグ1部・南葛SCの監督とTDに就任した。



















