松尾雄二さん(4)釜石時代は勤務中も体を鍛えた…ラグビーのための筋肉づくり
──今の目黒学院ですね。ラグビーで有名だったんですか?
「花園の全国高校大会では2年連続準優勝でした。北島監督が目黒高の梅木恒明監督の知り合いで、頼んでくれたんです。当時、ラグビー部員は全員、川崎市・新丸子の梅木監督の自宅を改造した合宿所に入って、練習漬けでした。朝は5時半から河原を走り、午後は明大グラウンドで練習です。合宿所に帰ったら倒れるように寝るだけ。短距離は遅かったけど、持久走には自信があったのに、もう、くたびれ果ててストッキングも脱がずに寝てました」
──その縁で、明大へ行かれるんですね。
「北島監督にお世話になっていましたから、もう当たり前という感じでしたね。特に勉強はしてませんが、入れる時代でした」
──大学ではスクラムハーフからスタンドオフに替わり、大活躍。その後、新日鉄釜石ですが、当時、新日鉄釜石は日本一になっていませんね。遠い岩手を選んだのはなぜですか?
「釜石市民全員がラグビーを応援しているんですね。その現場の熱さに驚きました。そして、釜石市民と一緒に優勝を目指したいと思ったんです。当時、釜石のラグビー部はほとんどが高卒で、大卒は1人しかいなかった。ラグビーの体って、ピークは25、26歳くらいなんですよ。高卒ではまだ体ができていない。そのうえ、実力があるのに、全国大会では力を出せない。都会に行くと緊張するっていうんです。しゃべらなくなるんです。遠征中に降りる駅を忘れて行方不明になったレギュラー選手もいたほどです」


















