カルテからどこまで真実がわかるのか…記録には限界がある
E・H・カーは中国の史書の見識はなかったと思いますが、中国の史書はそういった「過去との対話」の宝庫です。数百年前の人物評をあれやこれやと評して、自分なりの歴史観を披露しています。
その典型は司馬温公の「資治通鑑」でしょう。吉田松陰も、皆さんのよく知る三国志の奸雄「曹操孟徳」や「司馬懿仲達」の人物評を「帝位の簒奪者にあらず!」と残しています。
「過去をどう評価するか」は、現代に生きる我々の評価につながるのです。日本の社会では、いま起こっていることさえ事実が公にされず、当然、その評価は誰にもできません。昨今の「地方の道路整備費の増減と政権与党議員の選挙結果の相関」──という重大な関心事について、行政もマスゴミも完全に沈黙しています。「黙っててもわかるでしょ! ヤボなこと聞かないでチョーだい!」なのでしょう。何事もうやむや。現在とも対話できないのです、我々庶民は。



















