森健兒氏 「Jリーグをつくった男 木之本興三君を悼む」
Jリーグをつくった男が逝った。8日に68歳の誕生日を迎えたばかり。2つの思いが交錯する。
「まだ早い。70にもなっていないじゃないか」
「よく頑張った。もう無理はするな。あの世でゆっくり過ごしてくれ」
元Jリーグ専務理事の木之本興三君が15日、あの世へと旅立った。彼の人生はサッカーとともにあったが、それと同時に「病魔との壮絶な闘い」でもあった。
古河電工のサッカー部(現J千葉)でプレーしていた26歳の時、難病に取りつかれて両腎臓を摘出。以来、週3回の人工透析が欠かせなくなった。
私が三菱重工広報課長時代に日本サッカーリーグ(JSL)事務局をお手伝いしている時、古河サッカー部OBで日本サッカー協会の長沼健元会長から「病人だけど間違いなく仕事はできる」と推薦され、専従職員の事務長として迎え入れた。
予期せぬ大病は、彼を有能なサラリーマンとして、良き家庭人として生きていくことを難しくした。木之本君は、せめて日本サッカーのメジャー化にまい進することで「生きている実感」を得たかったのだろう。