森健兒氏 「Jリーグをつくった男 木之本興三君を悼む」

公開日: 更新日:

■病をおしてプロ化に奔走

 それが「日本のサッカーはプロ化しないと生き残れない」という思いにつながり、それからの木之本君は「まるで死に急ぐように」プロ化のために奔走した。1985年だった。木之本君が三菱重工の職場にやって来た。「JSLの総務主事になって下さい」。JSLの総責任者のポスト(現Jリーグ・チェアマン)である。彼と二人三脚でプロ化を推し進め、翌86年には「スペシャル・ライセンス・プレーヤー」という選手の登録区分をつくった。プロという言葉はないが、純然たる「プロ契約選手」のことである。

 プロ化への道筋をつくった後、名古屋に転勤したこともあり、総務主事を川淵三郎・初代チェアマンに託した。それから93年に発足したJリーグ=川淵チェアマンというイメージが定着したが、今あるJリーグの礎をつくり上げ、日本サッカーをW杯常連国に育て上げたのは、ひとえに木之本興三という男の存在なくしてあり得ない。

 50歳を過ぎて別の難病にかかった彼は右足を膝上で切断し、次いで左足も膝上で切断することになった。それでも車椅子に乗って精力的に動いていたが、昨年から体調を崩して入退院を繰り返し、ついに波乱に満ちた生涯を閉じることになった。

 重い病気と向き合いながら酒を飲み、ごちそうに舌鼓を打ち、たばこをくゆらせながら麻雀卓を囲んでいた。彼のエネルギッシュな姿を長く記憶にとどめておきたいと思う。

(森健兒・元日本サッカー協会Jリーグ専務理事)

日刊ゲンダイDIGITALを読もう!

  • アクセスランキング

  • 週間

  1. 1

    ドジャース佐々木朗希に向けられる“疑いの目”…逃げ癖ついたロッテ時代はチーム内で信頼されず

  2. 2

    ドジャース佐々木朗希の離脱は「オオカミ少年」の自業自得…ロッテ時代から繰り返した悪癖のツケ

  3. 3

    ドジャース佐々木朗希「今季構想外」特別待遇剥奪でアリゾナ送還へ…かばい続けてきたロバーツ監督まで首捻る

  4. 4

    中日・中田翔がいよいよ崖っぷち…西武から“問題児”佐藤龍世を素行リスク覚悟で獲得の波紋

  5. 5

    西武は“緩い”から強い? 相内3度目「対外試合禁止」の裏側

  1. 6

    「1食228円」に国民激怒!自民・森山幹事長が言い放った一律2万円バラマキの“トンデモ根拠”

  2. 7

    “貧弱”佐々木朗希は今季絶望まである…右肩痛は原因不明でお手上げ、引退に追い込まれるケースも

  3. 8

    辞意固めたか、国民民主党・玉木代表…山尾志桜里vs伊藤孝恵“女の戦い”にウンザリ?

  4. 9

    STARTO社の新社長に名前があがった「元フジテレビ専務」の評判…一方で「キムタク社長」待望論も

  5. 10

    注目集まる「キャスター」後の永野芽郁の俳優人生…テレビ局が起用しづらい「業界内の暗黙ルール」とは