元川悦子
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元川悦子サッカージャーナリスト

1967年7月14日生まれ。長野県松本市出身。業界紙、夕刊紙を経て94年にフリーランス。著作に「U―22」「黄金世代―99年ワールドユース準優勝と日本サッカーの10年 (SJ sports)」「「いじらない」育て方~親とコーチが語る遠藤保仁」「僕らがサッカーボーイズだった頃2 プロサッカー選手のジュニア時代」など。

森保J最年少アタッカー「久保建英の軌跡」 FC東京U-15むさしの時代の中村忠監督に聞く

公開日: 更新日:

全ては凄まじい努力のたまもの

 ──17年11月にFC東京とプロ契約を結ぶまでの久保は、常に「最年少エース」と位置付けられていた。

「本人にはプレッシャーもあったでしょうけど、ことごとく想像の上を行った。中3で参戦したU-18クラブユース選手権で得点王に輝き、高1でJ1デビュー。17年U-17、U-20W杯でも活躍しましたからね。『レフティーの建英は右足では点を取れないよな』なんて冗談交じりに言うと『取れますよ』と反発して次の試合で右足ゴールを決めるといったこともありました。全ては凄まじい努力のたまもの。オフの日にたまたま建英と電車で会ったことがあり、『どこ行くんだ』と聞くと『トレーニングです』とバツが悪そうに言っていた。我々の見えないところで自分を追い込んでいたんです。お父さんも熱心な方で建英の成功のためにできることを全てやるというスタンスでした。そうでなければ、あの成長曲線は描けない。頭の下がる思いでした」

 ──バルセロナ出身の金の卵を預かった指導者側にも重圧があったのでは?

「建英は日本に戻った方がいいのか、FC東京で育てられるのか、といった疑問は確かにありました。スペインにとどまっていたらもっと伸びた可能性もないとは言えない。ただ、現場の我々としては、建英を成長させられる最大限の環境を整え、提供することだけに集中した。それまでは(FC東京に)あまり飛び級も多くなかったのですが、彼の成長に応じてU-15、U-18、U-23、トップと昇格していった。この前例はクラブにとっても大きな自信になったと思いますね」

 ──そんな久保がプロ1年目だった18年は壁にぶつかった。

「守備の切り替えや強度が不足していることを本人も分かっていたが、それを認識した上で取り組んでいた。そのうちクリアしていくだろうと僕は考えていました。本人にも『その体で簡単にプロでは出られないぞ』と声をかけましたし、フィジカル強化にも意欲的に取り組んでいました。18年夏から半年間、期限付き移籍した横浜Mでも同じ苦しみを味わうだろうと想定していましたが、案の定なかなか試合に出られなかった。それでも実際にチャレンジすることが大事なんです。建英もメンタル的にもタフになれたと思いますよ」

 ──苦境を乗り越えて19年にFC東京でレギュラーをつかみ、夏にはスペインへ渡った。

「18歳未満の外国籍選手に対する規制が撤廃された時点で再びチャレンジしたいというのは本人の悲願だったはず。FC東京で順調にトップまで成長して主力を勝ち取り、A代表デビューも果たしたので再渡欧の話を聞いても驚きはなかったです」

 ──ただ、そこから3年間はやや足踏み状態が続いてA代表でも絶対的地位を確立できていない。

「彼がレアル・マドリードからレンタルで赴いたマジョルカなどは守備中心のチーム。となるとフィジカルや守備力が足りないと判断され、起用されない状況も起きたんでしょう。つまり、建英は自分の武器ではない部分を強く求められた時にどうするか、という対応力を求められたんです。毎試合ゴールを奪えるスペシャルな選手なら、守備に関する課題も多少は目をつぶってもらえるかもしれない。しかし、あの時点での彼は違った。攻撃力という強みを磨きつつ、足りない部分も克服しなければいけなかった。それを本人もしっかりと受け止め、もがいたはず。そんな3年間を経て、人としても本当にたくましくなった。その成果が今季の新天地ソシエダでの開幕戦ゴールに出たと思います」

■点が欲しい時に必ず取ってくれる

 ──カタールW杯の久保に期待することは?

「日本代表監督の森保一さんは熱い男。ピッチで情熱を出せる選手を使うはず。今の若手はおとなしく、あまり自己主張しない人間が多いという印象ですが、建英はサッカーで、人としての感情を表現できる。良い意味でバカになれるし、サッカー小僧の心を持っているんです。その強みは必ず大舞台に生かされる。日本がどうしても点が欲しい状況で、建英は必ずゴールを取ってくれる。そういうシーンを僕は何度も見てきましたから。本人も、最近『暴れます』というメッセージを送ってくれました。その言葉通り、W杯という桧舞台で暴れてほしい。あの体でも世界を相手にやれるんだ! というところを世界に示してもらいたいです」

(聞き手=元川悦子/サッカージャーナリスト、絹見誠司/日刊ゲンダイ)

久保建英(くぼ・たけふさ) 2001年6月4日生まれ。神奈川県川崎市出身。11年に名門バルセロナの下部組織の入団テストに合格。スペインに渡る。15年に帰国してFC東京の下部組織に入団。16年11月にJリーグデビュー(史上最年少記録を更新)。18年に横浜Mに期限付き移籍。19年6月にレアル・マドリードに完全移籍。マジョルカ、ビジャレアル、ヘタフェ、マジョルカを経て22年7月にソシエダに完全移籍した。19年6月に日本代表デビュー。身長173センチ・体重67キロ。

中村忠(なかむら・ただし) 1971年6月10日生まれ。東京都出身。読売クラブ-東京V-浦和-京都でプレー。両SB、CB、ボランチをこなすユーティリティープレーヤー。95年に日本代表デビュー。2004年に引退。東京Vユースコーチ、FC東京のU-15むさし、U-18、U-23の監督、U-18日本代表監督などを歴任して現在、東京Vのアカデミーヘッドオブコーチ。

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