元大関・増位山志郎さん死去「人生は短い、好きなことをやるんだ」…常に新しいことに挑戦し続けた
「自分が苦労して歩いてきた同じ道に息子も進んだということで、考えるところがあったんだろうね。相撲の技については弟子として教えてくれたけど、相対する時は一人の人間、人格として認めてくれた」
1980年、31歳2カ月で大関に昇進した時は、マスコミの注目度も半端ではなかった。
「親子2代というのでスポーツ記者だけじゃなく、芸能記者も集まって、ものすごい人の数になった」
大関昇進のきっかけとなったのは、引退した先輩大関・旭國さんとの飛行場での偶然の出会いだった。運命を変えたその瞬間を、増位山さんはこう振り返る。
「おい、俺が辞めたから大関の椅子が一つあいたぞ。今がチャンスだ」
この言葉に奮起したという。
■「そんな夕子」ヒットの陰に男社会の嫉妬
相撲だけでなく、演歌歌手としても活躍した。現役時代の1974年に発売した「そんな夕子にほれました」は120万枚、77年の「そんな女のひとりごと」も130万枚のミリオンセラーとなった。しかし成功の裏では、相撲界からの嫉妬も経験した。