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酒向正春ねりま健育会病院院長

愛媛大学医学部卒。日本リハビリテーション医学会・脳神経外科学会・脳卒中学会・認知症学会専門医。1987年に脳卒中治療を専門とする脳神経外科医になる。97~2000年に北欧で脳卒中病態生理学を研究。初台リハビリテーション病院脳卒中診療科長を務めた04年に脳科学リハビリ医へ転向。12年に副院長・回復期リハビリセンター長として世田谷記念病院を新設。NHK「プロフェッショナル 仕事の流儀」(第200回)で特集され、「攻めのリハビリ」が注目される。17年から大泉学園複合施設責任者・ねりま健育会病院院長を務める。著書に「患者の心がけ」(光文社新書)などがある。

倉本昌弘さん(3)もっと本気を出していたらあと20勝はできたかもしれない

公開日: 更新日:

プロに入ってからはいつ辞めるかばかりを考えていた

 ──さて、プロになられてからも初戦の和歌山オープンで優勝。2年目には全英オープン4位と大活躍ですね。一番、印象に残っている試合は何ですか?

「25勝目を挙げたブリヂストンオープンですね。37歳の時です。25勝になると永久シード権を取れるんです。私はブリヂストンの契約選手なんですが、ちょうど、節目の試合でブリヂストンの石橋幹一郎名誉会長からカップをいただいた。すごく記憶に残っています」

 ──この時はまだまだやれるぞって感じでしたか?

「やれると思っていましたが、あんまりやりたくなかった。プロに入ってからはいつ辞めるかばかりを考えていました。早く辞めて事業をやりたかったんですね」

 ──倉本さんは48歳で30勝目を挙げていますね。これは凄いことだと思います。自分がトップにいるぞって感じたのは何年くらいありましたか?

「基本的にないです」

 ──ベスト3くらいはどうですか?

「データ的にはベスト5くらいに10年間くらいはいたと思います」

 ──30勝という数字は今、振り返ってどうですか?

「バリバリの頃、もっと本気を出していたら、50勝くらいできたかもしれない。あと20勝はできたと思います」

   ◇  ◇  ◇

 反逆の精神でプロゴルファーになった倉本さん。でも、口ではそう言いながら、陰では凄まじい努力をされている方だと思います。理論的にトレーニングを考えているし、自己分析も冷静です。身長164センチの倉本さんがなぜ、これほど勝てたのか。

 次回は高校時代からのトレーニングの秘話を伺います。

▽倉本昌弘(くらもと・まさひろ)1955年9月生まれ。日本アマ3勝などアマタイトルを総なめにした後プロへ。全英オープン4位、日本ツアーでは30勝。選手会長、プロゴルフ協会会長など公職も務め、今もシニアで活躍中。

【連載】伝説のトップアスリートに聞く「シニアスタイル」

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