(3)「家族写真」の中に切なさが透けて見えてしまう
ご自身も弟さんをがんで亡くした経験をもつ呼吸器外科のI先生は、「まわりのみんなが患者さんのために特別にいろいろなことをしてあげるのもいいけれど、むしろ家族がおのおの普通の生活をすること、ひたすら普通に生活するのがいいかもしれないよ」とおっしゃった。私の家族はそのように時を過ごさせてもらった。
患者の家族となって初めて、われわれ医師が患者とその家族にかける言葉の重さと、思いの大切さを知った。
いま、悪性疾患を取り巻く医療の世界には、いろいろなシステムがあふれている。病名告知、インフォームドコンセント、グリーフケア(心的サポート)等々。規則によって定められ、マニュアル化している部分もあるが、最近私は、「死は誰の身にも起こることであり、患者さんにこれから向かう時間が決してつらいだけではないこと、そして怖くないことを伝え、それを実践するために全力を尽くす覚悟を伝える」ことがわれわれの責務だと考えている。
その結果、そのひとがこの地上から“消えた”ということが、欠落感としてではなく、この地上に“いたこと”の充足感としてご家族とともにわれわれ医療者も共有したい。
患者さんやご家族の顔が見えている町医者だからこそできることのひとつだと思っている。=つづく




















