「伝統」に隠された夏スポーツの矛盾…気候も社会の仕組みも変わったのに“形”だけそのままだ
「たかだか20キロで給水だなんて。夏なら分かりますよ。みっともねえ」
言葉にしなくとも顔に出るらしく、机の下でアナウンサーに膝をつねられていた。長距離=精神力=水飲み禁止。そんな碓井さんには反論したことがある。
野球、陸上、テニスなどの学生競技会は戦前の旧制中学で始まった。いまの高校生と年齢も育ちも違い、栄養満点の富裕層の少年中心に構成されていた。碓井さんたち戦中派も同じで、戦後のGHQの指導下で学制改革が行われたが、引き揚げ者を含め年齢はまちまち。碓井さんもそうだったように、箱根の黄金時代を築いた中大、日大は実業団からの転入選手がほとんどだった。夏の甲子園も頑丈な野郎たちの舞台だったのだ。
気候だけでなく社会の仕組みが変わっても、スポーツの形だけそのままだ。選手が倒れれば、主催新聞社は「頑張った」と絶賛の嵐で、インターハイのテニスやバドミントンで救急車の出動は当たり前……。季節を変えられないなら、甲子園ではなく京セラドームに移せばいいだろう。残念だが、最高のパフォーマンスを発揮できない環境なのだから仕方がない。
JOCも陸連も、女性会長を立てて何かを変えようとしているようだ。男たちが変えられなかった伝統を、果たして彼女たちが変えるだろうか。