(1)「とりあえずの医者」は町医者にとって最高の褒め言葉
鉄砲撃ちのじいさんの話を書いた。90近いのに至って元気で、時々、鹿だの熊だのイノシシだのとマジックで書かれた真空パックの干物をくれる。私を喜ばそうとしているのか、時々おもしろいことを言う。
「他人のへは臭くて腹が立つべど、自分のは気にならねべ。これをもって“不公平(へい)”という」
「この間、山の沢口で熊にあってしまったけんど、俺はじっと野郎の目を見たままにらみ合いになったわけよ。んだどもここで弱みを見せるわけにはいがねえ。ジリッジリッと俺からにじりよったら、野郎も少しずつ後ずさりして、しまいにゃ逃げて行った」
まあ、話半分だろう。そのじいさんが長い間胃痛を訴え、私は繰り返し内視鏡検査を勧めたが、かたくなに拒んだ挙げ句、数年後に末期の胃がんになった。家族に連絡を取ると、東京や仙台に住む立派な肩書の息子3人が来て、東京のがんセンターに連れていきたいとか、仙台の大学病院へ紹介状を書いてくれとか、手厚い医療を希望した。すると、布団に横たわったじいさんが息子を見渡し、私を指さすと、驚くほど大きな声でこう言った。