第3話:消えてなくなる
これを機に藤本氏の注文が立て続くことになる。
カルティエ好きのカスミにはカルティエの時計をパシャ、パンテール、タンクアメリカンのいずれも金無垢のモデルを立て続けに惜しげもなく買い与えた。
また、ある時は
「タケシ君、俺の行きつけのクラブがあるんだけど、自分の金で遊んだ感じで楽しんできてよ」
と言われ銀座の高級クラブを紹介された。
あんなに大勢の女性を侍らせたのは後にも先にもその一度だけであり、さらにママからは大粒の南洋パールのチョーカーの受注まで頂いた。
自身でも購入し、かつ紹介ももらえる、まさに優良顧客である。
しかしながら、藤本氏が何を生業にしているのかを最後まで知ることはなかった。
カスミに尋ねることもしなかったし、カスミから語られることもなかった。
宝石や時計の購入は熱病のように一定期間継続し、そして休止する。
小休止して再燃する顧客もいれば、一気にトーンダウンする顧客もいる。
藤本氏はその後者であった。
それからさらに何年経過した頃だろうか?
カスミから連絡が入った。
「どうした?」
「会える?」
待ち合せの表参道のカフェに現れたカスミはデニムに白いTシャツという、極めてシンプルで、見慣れないが、新鮮な装いで現れた。
指輪も時計も着けず、席についても煙草に火を点ける素振りもない。
今までで最もバランスの良い「仕上がり」かも知れない。
全て削ぎ落し、それでいて清々しく、かつ貫禄は維持している。
「で?」
ルイ・ヴィトンのリュックからは私が藤本氏から受注した婚約指輪、カルティエの時計の面々が現れた。
「これ、買い取ってよ」
「なぜに?」
カスミは遠くを見るような表情を浮かべ
「人って、いなくなっちゃうんだよねぇ……」
「はぁ? どういうことだよ」
「消えちゃったんだよねぇ」
「家出したとか?」
悲しむような素振りもなく、淡々とした、ひとごとのような語り口だ。
「ううん、忽然と消えたのさ、消えてなくなったのさ」
(ハチのムサシか?)
「とにかく、跡形もなく消えちゃったんだよ」
そんなことがあるのか?
一度も聞いたことのない藤本氏の職業に起因するのか?
あえて聞くこともせず、事務的に話を進めることにした。
「売ってどうする?」
「1年経ったから、保険も下りるみたいだし、家も車も売って、息子とハワイでのんびりと暮らすわ」
指輪や時計を指さしながら
「こういうものも、もういらないしね……」
カスミはハワイで優雅に暮らしているのだろうか?
「タケシ、頼みたいこと、あるんだけど」
不意に連絡が来るような気がしなくもない……。